「あたりまえ」の反対は、何でしょう。
マザーテレサは、「愛」の反対は「無関心」。
「あたりまえ」の反対は、「ありがとう」と話されたそうです。
この言葉には、千鈞の重みがあります。
以前もオンライン研修にて、お話をさせていただきましたが、
「ありがとう」は、人や動植物に対してだけでなく、全ての物に対しても言えることです。
物は、人間にとって必要だから、作られます。
例えば、靴は、足を守ってくれる大切な物。
靴のおかげで、けがをせず、靴下を汚さず、外を歩くことができるのです。
ですから、靴に感謝ですよね。
そんな「ありがとう」の気持ちがあれば、大切に靴を揃えたくなります。
物を粗末に扱う子にはなりません。
「靴は、揃えるもの」ではなく、「揃えたくなる気持ち」を育てていきたいものですね。
当協会では、このような心の教育を大切にしたいと常に考えております。
そして、もっと大切なことは、「あたりまえ=当然」と思っていることへの感謝だと思うのです。
今日、食べるごはんがある、着る服がある、帰る家がある・・・全てに「ありがとう」なのです。
地震や豪雨による災害によって、あたりまえの生活が奪われ、多くの人が不安を抱えて
暮らしていらっしゃいます。
また、SDGsの「餓鬼をゼロに」「安全な水とトイレを世界中に」などに触れることで、
あたりまえの生活は、あたりまえではないということに気づくことができます。
あたりまえの生活の中に、幸せや喜びがあるのですよね。
「ありがとう」=「有難う」の語源は、「あることがむずかしい。めったにないという意味」であり、
「あたりまえ」に思っていることを「ありがたい」と思えたとき、感謝がうまれます。
「あたりまえ」を「あたりまえ」に思っていると、感謝の気持ちは生まれてきません。
ぜひ、お教室で、子ども達に伝えてください。
それが、人間形成、人格形成の根本となるのではないかと、考えております。
宣伝になってしまいますが、当協会の教材「社会のルールブック」には、
今回、お話をさせていただいたページが詰まっています。
ぜひ、一度、手に取ってご覧ください。(文責:斉藤)