育脳コラム№9 「あたりまえ」の反対は?

 

 

「あたりまえ」の反対は、何でしょう。

マザーテレサは、「愛」の反対は「無関心」。

「あたりまえ」の反対は、「ありがとう」と話されたそうです。

この言葉には、千鈞の重みがあります。

 

以前もオンライン研修にて、お話をさせていただきましたが、

「ありがとう」は、人や動植物に対してだけでなく、全ての物に対しても言えることです。

 

物は、人間にとって必要だから、作られます。

 

例えば、靴は、足を守ってくれる大切な物。

靴のおかげで、けがをせず、靴下を汚さず、外を歩くことができるのです。

ですから、靴に感謝ですよね。

そんな「ありがとう」の気持ちがあれば、大切に靴を揃えたくなります。

物を粗末に扱う子にはなりません。

「靴は、揃えるもの」ではなく、「揃えたくなる気持ち」を育てていきたいものですね。

当協会では、このような心の教育を大切にしたいと常に考えております。

 

そして、もっと大切なことは、「あたりまえ=当然」と思っていることへの感謝だと思うのです。

今日、食べるごはんがある、着る服がある、帰る家がある・・・全てに「ありがとう」なのです。

 

地震や豪雨による災害によって、あたりまえの生活が奪われ、多くの人が不安を抱えて

暮らしていらっしゃいます。

また、SDGsの「餓鬼をゼロに」「安全な水とトイレを世界中に」などに触れることで、

あたりまえの生活は、あたりまえではないということに気づくことができます。

あたりまえの生活の中に、幸せや喜びがあるのですよね。

 

「ありがとう」=「有難う」の語源は、「あることがむずかしい。めったにないという意味」であり、

「あたりまえ」に思っていることを「ありがたい」と思えたとき、感謝がうまれます。

「あたりまえ」を「あたりまえ」に思っていると、感謝の気持ちは生まれてきません。

 

 

ぜひ、お教室で、子ども達に伝えてください。

それが、人間形成、人格形成の根本となるのではないかと、考えております。

 

宣伝になってしまいますが、当協会の教材「社会のルールブック」には、

今回、お話をさせていただいたページが詰まっています。

ぜひ、一度、手に取ってご覧ください。(文責:斉藤)